藤岡信勝研究
「新しい歴史教科書をつくる会」前会長、元拓殖大学非常勤講師の藤岡信勝先生の業績や関連団体について多角的に研究
200811<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>200901
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「新しい歴史教科書をつくる会」会長の藤岡信勝先生が八木秀次先生を訴えた裁判は、当然のことながら藤岡先生の全面敗訴となりましたけど、そもそもこの裁判の発端である藤岡先生の日本共産党員歴問題でどうも腑に落ちないことがあるんですよ。私たちは藤岡先生が元共産党員だということを西尾幹二先生がブログで公表するまで知りませんでした。左寄りの立場から転向した人だとは聞いてましたけど、共産党員だったとは知りませんでした。つくる会の幹部や共産党の関係者は知ってたんでしょうけど、一般の人は知りませんよ。本人が公表してこなかったんですから。
 
ところが藤岡信勝先生は提訴の次の日の去年7月11日に「藤岡信勝ネット発信局」http://fujioka-nobukatsu.blog.so-net.ne.jp/2007-07-11で「私は、1990年8月に始まった湾岸危機・湾岸戦争を契機に思想的転換をとげ、1991年8月から1年間の在米体験によって、日本の国家的自立が課題であること、その方向で戦後教育の再検討を行わなければならないことに確信をもちました」「私はかつて日本共産党に所属していましたが、上記の思想的転換によって1991年離党し、今日に至っております。私は以上の経過を何度か文章で公表しており、隠したことはありません」と書いてますよね。↓
759.jpg

藤岡信勝先生の支持者も同じことを言っていて、例えばつくる会東京支部掲示板で「でじゃ・ぶ」こと I 副支部長が「藤岡氏が元共産党員であり湾岸戦争を機に平成3年に離党したことは本件事件以前に本人が公にしているので衆知の事実ではある」と書いてます(11月3日)。

「1991年離党し、今日に至っております。私は以上の経過を何度か文章で公表しており、隠したことはありません」…。嘘です。藤岡信勝先生は「一国平和主義」を信じていたが湾岸戦争を機にそれを脱したと書いてきましたが、共産党員だったが1991年に離党したという文章を公表したことは一度もありませんよ。公表したのは、「平成13年(2001年)日共離党」という公安当局のデータが一部で出回って、それを西尾幹二先生がブログで公表し、藤岡先生が平成18年4月10日に西尾先生のブログhttp://www.nishiokanji.jp/blog/?p=360に“私の離党は2001年ではなく1991年(藤岡先生はなぜか西暦を使います)だ”と釈明し始めてからです。
 
藤岡信勝先生が書いた本や雑誌の論文を県立図書館で全部調べました(勉強嫌いな私たちですが、一生懸命調べましたよ)。

『近現代史教育の改革ー善玉・悪玉史観を超えて』(平成8年、明治図書)やその文庫版『自由主義史観とは何か』(平成9年、PHP文庫)には
「湾岸戦争は何よりも私を含む日本人の『一国平和主義』の信仰の枠組を決定的に破壊することで、日本の近現代史への見方をも変えさせる効果をもたらした」と、「日本人」一般を巻き込んだ書き方をしています。湾岸戦争まで目覚めなかった人は珍しいので、日本人一般を巻き込んでほしくないんですけどw、それはともかく「共産党員だったが1991年に離党した」とは書いてません。

同じ本に
「それ(引用者注:湾岸戦争のこと)以前の私は、憲法第九条の理想主義を素朴に信じるという点で、ごく標準的な教育研究者にすぎなかった。湾岸戦争は、私の中にあった『一国平和主義』の信仰の枠組みを破壊する強烈な体験であった」とあります。憲法九条の理想主義を信じていた(「標準的な教育研究者」だって弁解してますw)とは書いていますが、共産党員だったとは書いていませんね。
 
『汚辱の近現代史』(平成8年、徳間書店)にも
小学生のときに姉からもらった百科事典の筆者が左翼だったから影響を受けたとか、北海道大学で「労働問題研究会」というサークルに入って「学生時代に私は社会主義幻想に深くとらえられていった」とか「湾岸からミサイルが飛んできて、私の思想の背骨を直撃した。ミサイルが破壊したのは『一国平和主義』という、戦後世代の私にとって骨がらみになっていた幻想であった」(今度は「戦後世代」はみんなそうだと言い訳してますw)としかありませんよ。
 
このように、藤岡信勝先生が「社会主義幻想」や「一国平和主義」だったけど湾岸戦争を機に脱したっていう記述はありますけど、共産党員だったけど湾岸戦争を機に離党したという経過が書かれた文章は全然ありません。藤岡先生が共産党員歴を公表したのは、上に書いたように「平成13年離党」を指摘されてからです。
 
共産党員歴について疑問を突き付けられて、あわてて「湾岸戦争のときに離党したと今まで何度も書いてるじゃないか」と反論したけど、どこにも書いてない…。そもそも共産党員だったことを明かしてなかったんですから「離党」っていう記述なんてあるはずないじゃありませんか。
 
共産党員だったことが触れられたくない過去だったら、積極的に公表する必要はありません。でも、問題になったからといって「1991年離党し、今日に至っております。私は以上の経過を何度か文章で公表しており、隠したことはありません」と嘘をつくこともないでしょう。「隠して」いたと言われても仕方ありません。歴史の偽造はいけませんよ。だから怪しまれるんじゃないでしょうか。
 
藤岡信勝先生にお尋ねします。平成18年4月より前に、あなたがかつて共産党員であり平成3年(1991年)に離党したという事実はどの本や雑誌に「文章で公表」されてるんでしょうか? 「何度か」ということは複数あるんですよね? 教えてください!
 
「でじゃ・ぶ」さんをはじめとして藤岡信勝先生の支持者の皆さんにもお尋ねします。「藤岡氏が元共産党員であり湾岸戦争を機に平成3年に離党したことは本件事件以前に本人が公にしているので衆知の事実ではある」っていうのは、何を指してるんでしょうか? 「本件事件」っていうのは、あなた方が「怪文書」や「謀略」と呼んでいる出来事ですよね? それ以前に藤岡先生が「元共産党員であり湾岸戦争を機に平成3年に離党した」とどこで公にしていますか? 答えてください!
スポンサーサイト
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。