藤岡信勝研究
「新しい歴史教科書をつくる会」前会長、元拓殖大学非常勤講師の藤岡信勝先生の業績や関連団体について多角的に研究
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「新しい歴史教科書をつくる会」(会長は藤岡信勝元拓殖大学教授)の教科書発行元である自由社(東京都文京区、加瀬英明社長)の元スタッフ2人が教科書編集の報酬約440万円が不払いだと東京地裁に提訴した問題。提訴した2人を連れてきた元自由社取締役教科書編集室長・松本謙一氏が裁判所に提出した陳述書の要約版の後半。
 
前回の続き
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8 平成21年2月下旬に辛うじて文部科学省の仕事納めに間に合わせた再製作見本本でしたが、それに対する第2回の検定審査は当初「1ヶ月ほど」といわれ、意見通達2月初旬と見積もられましたが、これも大層時間が掛かり、意見通達は2月第3週となりました。修正指示箇所もまた増加したのです。驚いたのは、不合格となった初回見本本では通されていた箇所であっても、あらたに修正を要求されたところが多々あったことです。この点について、文部科学省側に照会しましたところ、「全面的に手直しされ、この4年間の最近の状況にかなり合致した教科書になったので、もう一息、工夫してもらうとさらに良くなると思うから」という好意的なものであったことは判ったのですが、Y.S.氏、M女氏には、その分、またしても新たなデザイン・編集作業を頼む結果になりました。
 
9 丁度そのころ、「新編 歴史教科書」の検定合格を見込んで、市販版『日本人の歴史教科書』の制作の話が持ち上がり、新規追加のページを含めてY.S.氏とM女氏に依頼することになりました。同年2月下旬以降、「新しい歴史教科書」の代表である藤岡信勝氏の古くからの個人的な友人である石井竜生、石井弘子の夫婦が、にわかに市販版『日本人の歴史教科書』に関して、表紙に自分達の懇意の友禅職人の描いた意匠を使うように提案するなどの介入が始まるようになり、私の作業手順を飛び越えて、先に先方と話を進め、断りにくい状況を既成事実にしてしまうことが出てきました。これは加瀬社長がさる皇族にお願いして、殿下が市販本の随想欄巻頭に寄稿してくださることが確実になった時期に重なっています。ところがきものの意匠などは実物を見る分には美しいが、写真に撮って紙に印刷すると、繊維の照りなどが失われてしまい、頭で考えるほどには美しいものにはならないのです。私は生家が呉服商で、父は友禅作家でもありましたから、その辺りの難しさは熟知していましたし、Y.S.氏やM女氏に石井氏のアイディアを検証してもらっても、やはり「表紙のデザインとしてまとまらないのではないか」という疑念が返ってきます。しかし、これは石井夫人のアイディアで、自分の御用達の友禅作家の作品を表紙に登場させたい、というこだわりはとても強いように感じました。そこでY.S.氏に制作してもらう市販本用表紙デザインの中に、石井氏提案のアイディアをそのまま具体化したものも加えてもらいました。その上で、つくる会会長、副会長、自由社有力出資者、といった方々を召集しての検討会(藤岡氏が開催を提案)を開催しましたところ、石井氏原案のデザインは全く評価する声が出ませんでした。もっとも大方の賛同を得た案も当初の原案は石井夫人の発案を下敷きにしており、Y.S.氏も私も、彼らの提案をまったく無視したわけではなく、何とか石井夫婦の顔を立てるようこちらなりに心を砕いたのも事実でした。ただ、これに先立つこと10日ほど前にも、同じく加瀬社長の就任披露パーティーで配布する計画が決まっていた同氏の新書版著書の表紙に関しても、石井氏は、私に進行状況を確認することなく自分の友人の友禅師に表紙用社章の原画を描かせ、自分の案を採用するよう、加瀬氏まで使って私に圧力を掛けてきました。この新書版は当該教科書より先行進行しており,すでにM女氏がデザインを作製し、ここからは教科書市販本に先立って印刷製本を進めないと、これもパーティーでの配布が間に合わない、という状況の商品でした。石井氏持ち込みの意匠を使っての全面やり換えは、時間的にも間に合わない危険があり、コスト的にも全く無駄でした。私もY.S.氏もM女氏も、教科書本体の文部科学省による修正指示をこなすのが精一杯で、また石井提案の図柄は社章として特定の宗教を連想させる可能性があり、教科書出版社としての自由社のイメージが誤解されかねないものでしたので、こちらも断り、社章としてではなく、加瀬氏の意向を汲み、加瀬氏の単独の著作に同じ題材の写真を追加することを、M女氏にかなり無理を言って実現しました。そういう経緯で表紙に関する自分の提案がことごとく通らなかった石井氏は激怒して、教科書市販本表紙の検討会の当夜、藤岡氏に、検討会で決定した表紙案をくつがえすよう迫ったようです。そして藤岡氏もつくる会副会長、有力出資者の合議で決まった表紙案を撤回して、全く異なる図柄に至急作り替えるよう、指示してきました。これについても、私は藤岡氏に「またいくつもの案をY.S.氏につくってもらうには、Y.S.氏のデザイン料の他に、図版の材料となる原画を写真ライブラリーから借りなければならず、また新たに大きな出費が発生しますよ」と念を押しましたが、「お金はいくらかかっても良い。とにかく石井さんを鎮めることが先だ」という回答でした。さらに「全面的にやり替える、ということで石井さんに納得してもらう代わりに、今後の表紙検討には石井さんは参加してもらわないようにするから」という約束までしました。
 
10 平成21年4月9日に文部科学省がついに「新編 新しい歴史教科書」の検定合格を発表しました。それを受けての「つくる会」の記者会見の合間にはめ込んで加瀬英明事務所で、市販本表紙のやり直しデザインの検討会議をやることに決まりましたが、先の申し合わせどおり、石井夫妻は出席させない、というのが藤岡氏の私への約束でした。しかし、藤岡氏は自ら設定した会議の開始時刻に大幅に遅刻した上に、同日夜の再集合を提案しました。そして、私が他に文部科学省から指示された要急作業を済ませ、指定時刻に加瀬事務所へ戻ると、そこには石井夫妻が招かれていました。そして、またしても市販本表紙の選定に関して、一度否決された自分の案に固執したリードをはじめ、藤岡氏は驚くことに完全にそれに同調し、すでに10数案作製されたY.S.氏のデザインをすべて一蹴して、石井氏の構想で表紙デザインを三度作製させるよう主張したのです。しかし現実には、製作を進行させる私の方に、すでに次の2点の、大変な心配事が起こっていました。「①4月24日に予定し、すでに参加申し込みを受け付けている加瀬氏の自由社社長就任披露パーティーに引き出物として配布を予定している新教科書市販本の印刷製本が間に合わなくなるおそれが濃厚になる。」「②Y.S.氏が自由社以外から毎月受けている編集仕事の予定がその時点でも、自由社教科書の度重なる変更指示やイレギュラーな要請で大幅に狂ってきており、もはやそれが回復不能の限度を超えようとしていた。」
これを藤岡氏、加瀬氏に説明しますと、藤岡氏は猛り狂い「デザイナーなんて他にいくらでも居るんだ!」と、最初に「秘密厳守が確実にできるデザイナーでなくてはダメだ」と条件付けたのと正反対のことを言い出し、それから私に、Y.S.氏を電話口に呼び出すように命じました。Y.S.氏が出ると、藤岡氏は「今日の変更は特別料金を払ってでも、すぐにやってもらいたい」といい、加瀬氏は代わって電話口に出て自ら「Sさん、あなたの仕事、生活はすべて保証しますから、藤岡さんの意向を実現してください」と発言しました。これは私の他に、「つくる会」の杉原副課長が同席していて聴いたことを私はのちに確認しています。
 
11 平成21年4月の第2週の週末から日曜日にかけて、石井氏が藤岡氏に密着して、表紙デザイン、市販本のページ編成、カバーに載せるキャッチ・コピーの文案などに介入がありました。藤岡氏は次々これらに変更指示を出し、他社雑誌に掲出する広告用の写真データー提供の突然の指示(そもそもY.S.氏に依頼した仕事には含まれていなかった)など、また校正の優先順序も印刷現場の作業日程予定を無視して、藤岡氏から終日突発的に命令されてくるため、Y.S.氏はその都度、機械のセッティング変更を余儀なくされ、仕事全体に影響が及ぶ事態となりました。そしてついに同年4月12日の日曜日、藤岡氏は「加瀬社長の命令である」として「自由社の経営、業務に関する全権を自分が代行する」と宣言しました。私は即日、藤岡氏に対して、「そのような重大事項は株主総会の承認を経て行われるべきではないか?特に、経営の最終責任の所在がうやむやでは対外的に通用しない」と指摘し、翌日、監査役である三堀清弁護士にも「会社法に照らしても、役員でもない一株主に、株主総会の承認もなく社長が経営権を移譲してしまう、というのは疑義はないのか?」と糾しましたが、加瀬氏の「これはビジネスでなく運動だから、それでいいのです」の一言でことごとく押し通されました。そして、最終的には、Y.S.氏が書籍デザイナーとしての永年の経験から緻密に工夫し、バランスを取った案を石井氏がことごとくくつがえし、加瀬事務所で自らハサミと糊、コピー機を使って作製したデザイン(と呼べるような代物ではなかったが)を造り上げ、それを藤岡氏も「とても良くなった!」と絶賛して、Y.S.氏に送付し、石井氏自らの思い通りのものを製版データーにまとめさせ、これを決定稿としたのでした。ところが、その石井、藤岡両名の自信作を、両氏が出版他社のプロに見せたところ、酷評されたそうで、あわてて、そのプロ営業関係者に紹介されたデザイナーに急遽造らせた表紙デザインで市販に漕ぎ着けたのでした。その製作費はタイの安価な土産物の無料で使える写真を採用したにもかかわらず、40万円を支払ったそうで、石井氏自ら「本当のプロの仕事が40万円なら安い」と関係者に吹聴したと、これら一連の事情はつくる会杉原副会長から後日聴きました。
 
12 このような無責任な経営の一端を担うことは株主への背徳行為になると考え、加瀬社長あて退任を申し出ました。その一方、取締役である私の全く知らないところで石井氏作製の新役員人事案が作製されており、それには私を役員から外し石井竜生を新たに取締役に任用することは折り込み済みになっていました。加瀬氏はこれも株主総会の議を経ないで強行しようとしましたが監査役である三堀弁護士に制止され、実行は出来ませんでした。その後、私は残務整理のみを行い、5月25日までで、自由社を離脱しましたが、何故か、その後、株主総会は9月まで召集されず、後任人事は行わないこと(つまり私の後は役員空席のまま)を9月下旬に開催の臨時株主総会でようやく承認しました。しかし、石井竜生氏は出版部長として自由社の現場をすべて管理するようになりました。私は、Y.S.氏、M女氏に未払い作業の請求は支払われるまで定期的に同社に送るようアドヴァイスしました。
 
13 平成21年10月の下旬に自由社監査役でもある三堀清弁護士より私宛電話があり、「自由社としてY.S.氏、M女氏への支払いを解決するため、事態の経過を確認したいので、面談して欲しい」と要請されました。同席者の有無を確認すると「自分独りと会って欲しい」と説明されたので了承しました。同年11月4日の午前中に三堀弁護士の事務所に赴くと、自由社から事前に同席の説明がなかった関係者二人も来ていたので、「単独で会いたい、という申し入れに違約している。自由社はこうした違約を再三行っている。本日はキャンセルし、改めて単独で面談したい」と通告。三堀弁護士が「二人には席を外させるので、どうしても本日話を聴かせてほしい」と申し出たので、二人で約1時間面談。表紙デザインの再三のやり直し、印刷開始間際の度重なる変更指示、など大きな請求が発生した経緯については、① その期間、藤岡信勝氏が加瀬社長から「経営の全権を委任された」として、すべての業務指示を出していたこと、②加瀬氏は少なくとも2回以上、主要株主の前で「私は自由社の運営に関しては、すべて藤岡先生にお任せしている」と発言して、これを追認していること、③4月9日には加瀬氏自らY.S.氏との電話に出て、「この仕事に掛かる費用、あなたの生活一切は私が責任を持ちます」と自発的に発言していること、④私は藤岡氏に「度重なるデザイン変更や突発的な作業順序の変更はそれなりに大きなお金が掛かるから、客観的には大差の無い問題なら、特段の合理的理由が無い限り、するべきでない」と数回進言したが、「特別料金を払ってでもやらなければならない」と再三指示されたこと、⑤市販本表紙のデザイン変更の最終段階のもの(自由社がY.S.氏宛の文書で「商品価値が認められない」としたもの)は主に石井氏が自ら細かく指示をして(私やY.S.氏の疑念を無視した上で)強引にY.S.氏に作製させたもので、商品価値の無いものを無理矢理作らせたのは石井氏本人であること等を説明しました。また石井氏の会社経営に関する無経験、彼主導の自由社の現場運営がいかに杜撰、感情的で、さらなる問題を惹起しかねない、と感じられることも事例を挙げて説明しました。同日の午後、私から三堀弁護士に電話し、「自由社の現場はY.S.氏にあのような侮辱的かつ非常識な文書を送りつけ、その反省も無いようなので、とてもY.S.氏側と円滑な交渉は望めない。そのことは本日午前中の私の説明でもある程度御理解いただいたと思う。ついては、これを機に、自由社側の交渉窓口は三堀先生が務められたらどうか?もし引き受けられるなら、私からY.S.氏に諒解を取り付けることはできると思う」と提案。三堀氏から「加瀬氏の諒解を得なくてはならないが、そうすることは可能と思うのでY.S.氏の諒解を得て欲しい」と回答を得ましたので、Y.S.氏に電話し、三堀氏の立場を説明、快諾を得ました。続いて三堀氏にY.S.氏の同意を伝え、「しかし、この件はすでにかなり長引いており、この際、実務的、かつ迅速に合意に達せられるよう努力して欲しいこと、仮に裁判にもつれ込むようなことになれば、双方とも時間的、費用的に大きな負担を負うことになり、双方にとって不利益となろうこと」を申し添えました。
 
14 その後も私は、三堀弁護士に連絡を取り、自由社側の対応を確認しましたが、40日以上を経ても積極的に対応している様子はありませんでしたので、法的に解決するしかないと考え、Y.S.氏と共に弁護士に相談を行ない、本件訴訟に至ったものです。
 
15 今回未払いの請負代金は、当時私が被告の取締役であり本件教科書の制作責任者として、Y.S.氏及びM女氏に依頼したもので、その作業内容からは正当な請求であり、何ら不当な点はないと考えています。それにも拘らず、被告が未払いの請負代金を支払わないのは、石井氏への対応について私と「つくる会」執筆メンバーとの間に意見の齟齬が生じたことによることが大きな原因であり、Y.S.氏やM女氏には何の責任もないことだと思います。
以上
 
追記;自由社は今年(平成22年)4月に文部科学省に検定申請した中学校歴史教科書白表紙本に,私が現行版に提供した図版4点を,事前に承諾を求めず再利用していることを,検定に見本提出後に及んで私に知らせ,事後承諾を求めてきましたが,当該白表紙本はどういう歴史認識でまとめられたものなのか,明かではありませんので,私は再利用を拒絶しました.石井竜生出版部長の業務管理のもと,新規白表紙本の制作進行が場当たりで杜撰であることを垣間見せる事実として紹介しておきます.

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「新しい歴史教科書をつくる会」(会長は藤岡信勝元拓殖大学教授)の教科書発行元である自由社(東京都文京区、加瀬英明社長)の元スタッフ2人が教科書編集の報酬約440万円が不払いだと東京地裁に提訴した問題。
 
他サイトに先に書かれてしまった(★スクープ! 自由社「賃金不払い」で訴えられた http://projectj.iza.ne.jp/blog/)ので、拙ブログは負けずに、先ほど独占入手した資料を公開したい。
 
提訴した2人を連れてきた元自由社取締役教科書編集室長・松本謙一氏が裁判所に提出した陳述書の要約版だ。内容は豊富なので、読者の皆さんがそれぞれ興味のある部分を分析して、拙ブログにお知らせいただければ幸いだ(連絡先groupe1984@livedoor.com)。
 
転送、転載フリーとのことなのでご自由に。
 
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本日,東京地裁で,株式会社自由社に対する同社歴史教科書の製作にかかわったデザイナー二人による,未払い金約450万円の請求提訴の初公判が開かれました.この裁判に関して,原告側より私に依頼されました陳述書の下書きが,いわゆる「つくる会教科書」研究者に,あの歴史教科書およびその市販本『日本人の歴史教科書』の製作経緯を正確に把握してもらうのに役立つと考え,私の証言として,かねてより御興味をお持ちの研究者に提供いたします.歴史教科書運動の歴史を記録する資料としてご活用ください.なお,実際裁判所に提出の陳述書とは事実関係は同一ですが表現の細部は一部異なりますので,その点はご留意ください.また,この訴訟の原告二人は,「つくる会」運動にも,それに類する政治思想にも全く関係ありません,通常の職業人であり,私との個人的関係において,業務としてあの教科書の製作作業を消化したに過ぎません.その点もくれぐれもご留意ください.

                                            平成22年6月 17日

                                                 松本謙一                           
 
1 私は、被告である株式会社自由社の元取締役であり、教科書編集室長として「新編 新しい歴史教科書」の制作を、原告であるY.S.氏及びM女氏に依頼いたしましたが、遺憾ながら請負代金の一部が支払われておりません。本件教科書の制作依頼から本件訴訟に至るまでの経緯について、申し述べます。
 
2 私、昭和43年より、鉄道愛好者向けの図書の編集、出版、販売を業として参りました。Y.S.氏はグラフィック・デザイナーとして大手自動車会社のパンフレットのデザイン、自動車愛好者向け雑誌の編集請負などで永年実績を積む一方、これまた主として海外の鉄道の撮影取材を旅行記にまとめるなど、鉄道愛好者向けの仕事でも高い知名度を獲得しています。
私も主たる鉄道研究分野が外国鉄道史であり、この部分で双方は共通したことから、極めて親しい間柄として、私が出版していた月刊専門誌(現在は別人が発行人)でも執筆、デザインを依頼する関係が過去15年以上継続してきました。
私は一方で、歴史、特に日本文化の独自性を評価する立場から「新しい歴史教科書をつくる会」に入会し、同会の東京支部長をほぼ6年、評議員を4年務めたことから、藤岡信勝現会長とは極めて密接な立場にありました。
 
3 平成19年夏、同会は、それまで「新しい歴史教科書」の発行を引き受けていた株式会社扶桑社から、同書の発行引受を停止する旨の通告を受けたことから、新たな発行引受の出版社を探す必用に迫られることとなりました。
紆余曲折の末に、藤岡会長が外交評論家加瀬英明氏の紹介で、新たに発行引き受けの承諾を得たのが株式会社自由社(旧)でした。しかし、この出版社は永年政治論壇誌としての実績はあるものの、現今教科書のような写真、図版多用のグラビア図書の編集は経験がありませんでした。
このため、「新しい歴史教科書」の代表執筆者である藤岡氏と彼の個人的な友人である、小説家の石井竜生氏などが協議の結果、図版多用図書の編集に40年の経験を持つ私が自由社の臨時雇員となって、教科書製作の実務を行うよう依頼されました。平成19年9月下旬のことでした。
図版多用図書の製作は今日、コンピュータによるデジタル信号化で、デザイン、活字の位置、書体指定、図版の解析と位置、サイズ指定まで、専門技術を持つグラフィック・デザイナーが担当し、製版、文字校正など、かつては印刷会社が担当した作業まで、一括して信号化し、印刷会社はその信号(印刷データー)を受け取るだけで印刷、製本をおこなっています。つまり、かつての書籍デザイナーと異なり、現代のグラフィック・デザイナーは自営なら相当のコンピュータ・システム機器に投資し、かつそれを自在に使いこなす専門技術者としても知識、経験、判断を求められ、責任も昔のグラフィック・デザイナーより格段に重くなっています。
株式会社自由社はもちろん、そうした設備も人員も備えて居らず、教科書製作の実務を行うには、これをこなせる個人営業のグラフィック・デザイナーが至急必用になりました。その上、「つくる会」の藤岡会長より、「従来の左翼陣営の妨害に加え、扶桑社の妨害も十分考えられるので、万が一にも作業の進行状況、新版の内容が外部に漏れないよう、格別に信頼の置けるデザイナーを捜すよう」強い要請がありました。
そこで、私の身近で、そうした条件に合致するコンピューター編集専門デザイナーとして、旧知のY.S.氏にデザイン実務作業を全面依頼し、かつY.S.氏より、図版制作担当のイラストレーター兼補助デザイナーとして同氏が共同製作作業に長い信頼関係を築いてきたM女氏の推薦も受けた次第です。
 
4 平成19年11月下旬;「新しい歴史教科書をつくる会」執筆メンバーにY.S.氏を紹介しました。この時点では「自由社が最初に文部科学省検定に応募するのは平成21年4月」という説明でした。それでも、私やY.S.にとっても、自由社にとっても、教科書の編集製作は初めての経験であり、かつ公民教科書も同時に検定応募する、ということなどで、かなり忙しいスケデュールであることは御出席の皆さんにお話しました。
同年12月8日に突然、藤岡氏に呼び出され、「改正教育基本法の指針を受けた新指導要領の適用が1年遅れることになったので、来年(平成20年)4月に旧指導要領のままで、もう1回、新旧指導要領移行端境期2年分だけを対象にした教科書改訂の募集が行われることが確定し、それにライバルである扶桑社も検定応募することは確実とみられるので、これに対抗するためには自由社+つくる会も是が非でも新教科書で応募しなければならない。なんとか、来年4月1日の検定締め切りに、歴史教科書だけでも新規製作の白表紙見本を間に合わせてくれ」と要請されました。歴史教科書には総計500点以上の写真、図版が必用で、写真の多くは寺社、博物館、教育委員会などの使用許可を得る必用があり、それを取得してからでないと編集作業は進められない一方、文字原稿についても写真と図版の解説、側注など旧版では扶桑社のスタッフが執筆を担当したものは著作権上、全面的に新規製作しなければならないので、「自由社の限られた製作予算では、そのような膨大な作業を消化する人員を抱えるのは無理だし、実質向こう70日程度しかない日程も、全く余裕がないので難しい」と私は回答しました。それでも藤岡氏が「もしできなければ、つくる会の教科書改善運動はつぶれてしまう」と悲嘆するので、Y.S.氏に電話して状況を話しましたところ、「写真さえ揃えてくれるなら、こちらは万障繰り合わせれば、ぎりぎり間に合うかもしれない」という見解でした。この言葉をたよりに、この非常に厳しい日程に挑戦することにしましたが、藤岡氏に対しては、①相当にイレギュラーな手順を踏むために製作予算はどうしても余計に掛かると覚悟して置いてもらいたいこと、②製作実務に関しては私に全面的に任せると約束してもらいたいこと、の2点を確認し、了承をもらいました。
 
5 Y.S.氏、M女氏のほとんど連続徹夜作業により平成20年3月下旬、なんとか見本本の印刷開始に漕ぎ着けましたが、そこに至って、いままで途中の校正作業にはほとんど無関心だった藤岡氏がつくる会副会長や理事、石井氏などを集めて校正を行う、と言い出しました。この時は製版データーはもうY.S.氏の手を離れ、印刷所に移っておりましたが、そこから校正を行うためには、Y.S.氏が一度緻密に組み上げた製版データー信号のロックを解除せねばならず、解除してしまうと、他に校正をする必要のないページのデーターまでがずれてしまう危険、関連ページの用語、用字の統一が崩れ、新たな誤植を生じてしまう危険がありました。これを藤岡氏に説明して、製版データーに知識のないものがデザイナー抜きで明かな誤字以外までもいじり回すのを回避させようとしましたが、聞き入れられず、多数の追加修正が行われた結果、これによって思わぬところに生じてしまった新たな誤植が、のちに検定作業で「ミス」とカウントされ、結果的に第1回提出の白表紙見本は不合格になる事態を招きました。—このような藤岡氏の超ワンマン体質と、出版業務に経験の無いにもかかわらず締め切りを過ぎるころになって初めてチェックを言い出し多くの変更を命ずる日程管理感覚の欠如が、この教科書プロジェクトで、予算的にも人員的にも時間的にも、多大の無駄と無理を惹起しています。
 
6 平成20年4月17日、文部科学省に検定応募の白表紙見本本が受理されましたので、編集作業を一旦仕舞い、そこまで掛かった費用(予算はつくる会有志の自由社への貸付、ということなので別口座で管理してきた)を自由社本体の決算に連結しようとしたところ、初めて、同社の経理内容がとても文部科学省の教科書納入業者の資格要件を満たしていないため、この「自由社」を発行元にすることは難しい、という理解が生じたのです。また、「自由社」社長石原氏より、「高齢のため、近々業務を停止したい」という意向も伝えられました。
 関係者が研究の結果、新規に株主を募ったうえで同一住所に同名の新会社を設立し、そちらに教科書関係業務をすべて移譲し、新会社として文部科学省の納入業者認定を取得することにしました。新会社の設立総会で加瀬英明氏が社長に就任し、私も出版業務担当の取締役に選任されました。平成20年11月以降、発注、支払いの責任はすべて新会社に切り替えました。文部科学省よりは、「検定中の教科書については検定合格が得られた時点で版権を、検定申請者である旧会社から、教科書納入業者資格を取得した新会社に譲渡するように」という指導を受けました。
 
7 提出した白表紙見本本に対しての検定意見通知は当初、藤岡氏から聴いていたところでは9月か10月中、ということでしたが、かなり遅れ、ようやく文部科学省から呼び出しがあったのは、11月の第3週でしたが、結果は500箇所以上のミス指摘箇所があり、「検定不合格」でした。4月の提出間際に藤岡氏主導で、泥縄的に校正を追加したことが別の誤植を誘発し、ミスのカウントをあたら増加させたのです。しかし、4月に検定応募した業者についてのみ、修正のうえで白表紙見本本を再作成すれば、もう一度検定を受けられる、という規定があり、これは幸い適応されました。ただ自由社については、新たに供給業者としての登録認可を取得しなくてはならない状況に連動して、再製作の見本本の提出期限は12月26日と指示されました。これまた製作期間が実質1ヶ月を切る状況で、印刷製本の時間を除くと編集作業としての追加修正は校正作業まで入れて10日ほどしか許されず、Y.S.氏、M女氏の負担と責任はまたしても多大なものとなりました。編集者経験40年の私でさえ、これができるかどうか、全く自信が持てなかったほどの日程であったことは第1回の白表紙見本の製作同様でした。

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次回に続く
拙ブログのほうが恐らく早く知っていたが、
先に書かれてしまった。

 
★スクープ! 自由社「賃金不払い」で訴えられた
http://projectj.iza.ne.jp/blog/entry/1649121/ 
追放した松本謙一氏の知人だからといって
スタッフに報酬を支払わなかったのだとすれば、ひどい嫌がらせだ。
もちろん自由社にも言い分があるのだろうから法廷で聞きたい。
 
第1回口頭弁論は実質審理がないので行かない。
 
原告側証人として松本謙一氏、
被告側証人として藤岡信勝元教授や石井竜生(本名・石井龍雄)出版部長が
出廷すれば傍聴するか。
ただし合議ではなく裁判官1人で小さな法廷なので、相当目立つと思うが。
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