藤岡信勝研究
「新しい歴史教科書をつくる会」前会長、元拓殖大学非常勤講師の藤岡信勝先生の業績や関連団体について多角的に研究
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引き続き、自由社版中学校歴史教科書が東京書籍の年表を盗用した問題をめぐる元自由社編集者・松本謙一さんと「新しい歴史教科書をつくる会」の言い分を公平に紹介する。
 
松本謙一さんは8日付の回答文書

このように私には「当該年表は盗用されたもの」という認知が一切ありませんでしたので当該問題が新聞に報道されたときも直ちには事情が理解できませんでした。また報道記事(読売新聞)中に自由社側の「当時の編集担当者はすでに退職しており連絡がつかない」旨の弁解が出ていましたが、自由社も貴会も私の現住所、電話等は十分認識しておられたはずです。であるからこそ、今回もこうした照会もできるわけで、「連絡がつかない」というからには、私のことでなく、私以後に入社しすでに退社した編集者があったのか、と理解していました。まさか高い社会的信用を持たれ皇族の知遇まで得る加瀬英明氏が代表取締役をお勤めになる(株)自由社が文部科学省や報道機関に虚偽の説明をなさるはずはないからです。(それとも「すでに退職した担当者」とは私を指し、それと「連絡が取れない」という意味で弁明されたのでしょうか?それであれば自由社は積極的に社会を欺いたことになります。私はあの時期、東京でいつもどおりの生活を営んでおりましたが一切所在確認のご連絡はありませんでしたが…)
○私からの疑問;
1.私から事情を聞くことが本当に必要なら、本件トラブルが表面化した当時に、なぜ自由社も貴会も直ちに私に照会してこなかったのか?
2.私に一切照会せずに、あたかも私が事件を起こしたかのような情報を会員の間に流布して既成事実化したうえで今般になって一方的に「何故無断で流用したのか?知らせずに放置したのか?」と私の主導あるいは関与を決め付けた照会がなされたのか?
ここに私としては貴会の行動に非常な不自然さと何がしかの作為の存在を感じるものです。


と疑問を表明した。
 
それに対し「新しい歴史教科書をつくる会」は17日付の反論文

採択期間中に松本氏への問い合わせをしたなら、氏が自由社教科書の採択を挫折させるための妨害行動に出ることは明らかでした。


と述べている(なぜ「貴殿」や「松本様」ではなく「松本氏」と書いているかというと、この反論文は松本さん宛ではなく会員など第三者にアピールする形になっているから。手紙の書き方を知らないようだ)
 
つまり「松本氏の連絡先は知っているが連絡しなかった」というのだ。そうだとするなら、盗用発覚以降、藤岡信勝や自由社がマスコミや「つくる会」会員に説明してきた「連絡が取れない」「経緯を確かめようもない」というのは、やはり大嘘だったのである。
 
確かめなかった「経緯」とは、前回紹介したように「つくる会事務局長の鈴木尚之が事務局員に指示して、東京書籍の年表をスキャナーで読み取って松本謙一さんに渡した」というものである。

大嘘を記録に残しておく。
 

年表作成の担当者は自由社を退社しており、経過を確かめようもないが、関係者に迷惑をかけ、深くおわびする(6月14日付朝日新聞朝刊の藤岡信勝のコメント)


これはあの、さく…制作担当者がいまもう退社しておりますので、あの、事実が確かめようがない、あの、どうしてそういうことをしたのかっていうのは、分からないんですが(6月14日、チャンネル桜「桜プロジェクト」での藤岡信勝の発言)


毎日新聞8月1日付夕刊当時の年表の作成担当者が2年前に自由社を退社しているため、なぜこのようなことになったのか、確かめることが出来ない状況にあります(7月10日、藤岡信勝のツイッター書き込み)


当時の作成担当者が2年前に退社しているため、なぜこのようなことになったのかその経過を確かめることができない状況にあります(7月、自由社教科書編集室長の榎本司郎が横浜市教委や採択校校長に出した「お詫び」文書)


年表を担当していた編集委員が会社を辞めてしまったため、連絡が取れず把握できない(7月31日付しんぶん赤旗の自由社のコメント)


編集担当者が退社し、当時の事情がわからないが、東京書籍の編集著作権を侵害したことは間違いない(8月1日付読売新聞夕刊の自由社のコメント)


当時の編集長と連絡が取れず、経緯が確認できていないが、編集者として常識外の行動で申し訳ない(8月1日付毎日新聞夕刊の自由社のコメント)


当時の編集長が既に退職し、詳しい経緯は分からないが、申し訳ない(8月2日付産経新聞朝刊の自由社のコメント)


当時の作成担当者は2年前に退社しており、なぜこのようなことになったのか、その経過を確かめることはできません(8月2日につくる会が発表した「自由社歴史教科書の年表問題に関する『つくる会』の見解 」)


自由社の男性編集者(当時)が作成したが、2年前に退社。なぜこのようになったか経緯は確かめられない(8月3日付北海道新聞朝刊のつくる会のコメント)


当時の作成担当者は2年前に退社しており、その経過を確かめることはできない(つくる会会報「史」7・9月合併号「年表問題に関する調査報告」)

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10日付の拙ブログで、藤岡信勝が代表執筆者を務める自由社版中学校歴史教科書が東京書籍の年表を盗用した問題をめぐる元自由社編集者、松本謙一さんの言い分を紹介したが、「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡が会長を務めていたサークル)の反論文が17日付で発表されたので、謹んで全文掲載する。「今後、さらにこの件で『つくる会』の信用を毀損する行為がなされた場合は、法的措置も視野に入れて対応いたしますので、松本氏及びこれに加担するネット関係者に予め警告しておきます」という、左翼が書きそうな偉そうな文章である。松本さんの言い分との間には争いがあるが、核心は以下の部分である。
 
鈴木事務局長の指示で事務局員の一人がスキャナーで東書14年版の年表の文字を読み取り、テキストファイルでフロッピー・ディスクに入れ、松本氏の事務所に送ったことが確認されています。(中略)しかし、言うまでもないことですが、鈴木氏が東書14年版の年表の文字データを事務局員に指示して入力し松本氏に送ったのは、教科書の制作作業に追われていた松本氏に同情した鈴木氏が、松本氏が年表を作成するための下書きに利用できると考え、松本氏の作業の手間を少しでも軽減してあげようという善意の支援策として行った行為であることは疑う余地がありません。ですから、松本氏はその文字データを入力の手間を節約するために利用しつつ、独自の年表として仕上げる作業をした上でデザイナーに渡すべきであったのに、その作業を怠ったということになります
 
結局、他社の教科書をスキャナーで読み取っていたのである。
 
確かに事務局員に指示して東京書籍の年表をスキャナーで読み取って松本謙一に渡したよ。松本がアレンジせずにそのまま組み付けたからいけないんだ…。自己の正当性を主張するあまり、世間に通用しない論理を恥ずかしげもなく主張する「つくる会」幹部たちは、頭が不自由なのではないか。

                    年表流用問題の真相
         ―編集担当者松本謙一氏の回答文書への反駁―
                                        平成23年12月17日
                                  新しい歴史教科書をつくる会
 
年表流用問題について、当会は、11月29日付け福地惇副会長(教科書採択推進委員会委員長)名の書簡で、当時の編集担当者(自由社教科書編集室長)であった松本謙一氏に対し、流用に至った事情を照会しました。これに対し、松本氏は12月8日付けの書簡で回答すると同時に、その文書を報道機関を含むかなり広範囲の関係者に当方に無断で郵送しました。 しかし、その内容は自己の責任を一切認めず、「つくる会」側の、しかも故人に責任を転嫁したものであり、その論旨は破綻しています。松本氏がこのように、調査中の事案について、「つくる会」の社会的信用を著しく貶める文書を一方的に公開したため、インターネット上でも「つくる会」のイメージダウンを狙って悪意をもって流布されています。「つくる会」としては松本氏の名誉を慮って、今まであえて編集担当者の名前に言及することを避けてきましたが、ことここに至ってはやむを得ず、以下の通り年表流用問題の真相を明らかにし、松本氏の責任を公にする必要に迫られることになりました。これを機会に、会員や支援者の皆様におかれましては、以下の事実関係をよくお読み取りいただき、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
 
(1)教科書編集の基本方針と年表の作成担当者 平成19年秋、「つくる会」の趣意書に基づく歴史教科書を新たに自由社から発行し、『新編 新しい歴史教科書』として平成20年4月の文科省検定に提出する方針が固まりました。代表執筆者は藤岡信勝会長(当時)がつとめ、編集担当者の役目を、前つくる会東京支部長で、定期雑誌を編集・発行してきた松本謙一氏に委嘱しました。
日付けは今のところ特定できませんが、編集の基本方針と執筆の分担を確認する会合が開かれました。その場で、
 ①本文及びページ単位の大型コラムの大部分の執筆と仕上げ、及び他の執筆分担者の原稿とりまとめの責任は代表執筆者である藤岡会長が引き受ける
 ②本文周辺の教材及びその他のページは、自由社教科書編集室長である松本氏の責任において制作する
 ③松本氏には、編集担当者としての職務とは別に、文化史など個々のページについては、本文及び大型コラムの執筆者としても委嘱する
との方針が決定・確認されました。従って、年表の作成担当者は編集担当者である松本氏となります。年表については、各社教科書の年表の構成などを調査した上で、自由社独自のものをつくることを確認しました。
ところが、松本氏は回答文書の中で、「当該年表の担当執筆者に藤岡氏が指名したのは、主任は杉原先生、補佐は福地先生」だったと書いています。これは全くの虚偽であり、編集会議でそのような決定をおこなったことはありません。もし松本氏の言う通り、杉原氏が年表の「担当執筆者」であり、その「主任」であったとしたら、杉原氏の性格からしても実績からしても、その仕事を無責任に放棄することはあり得ません。それだけではなく、この嘘が成り立たないことは、松本氏の回答文書の中で、杉原氏が担当執筆者であったという松本氏の主張との矛盾が生じていますので、該当箇所で指摘することとします。
 
(2)年表の流用が生じた経過
さて、東京書籍平成14年度使用開始供給本(以下、「東書14年版」と略称)の歴史教科書から日本史の部分の文字情報が殆ど丸写しの形で流用された経過について、松本氏は、回答文書の冒頭で「結論」として、次のように述べています。
【当該年表の原稿は担当執筆者であった杉原誠四郎先生(現貴会会長)の指示により当時の貴会本部事務局長、鈴木尚之氏が事務局員(氏名不承知)に作成させ、私ども当時の「自由社臨時教科書編集室」にフロッピー・ディスクに記録した電子情報で送達したものをそのまま使用したもので、内容の製作経緯に関しましては、当方は一切関与も関知もしていません。】
そして本文では、さらに詳細に次のように経過を述べています。
【平成20年3月末に至って、「つくる会」鈴木事務局長から思いがけず私の事務所(当時、自由社の臨時教科書編集室として提供)に電話があり、「年表の原稿は杉原先生の指示で事務局員に入力させたので、直ちに送るからこれを使ってください」といわれました。】 【フロッピー・ディスク(だったと記憶しますが)で「つくる会」本部から私ども「臨時教科書編集室」に届いた原稿は、その時点ですでに年表の枠組みデザイン(新規に作成)を用意して文字原稿の入稿を待ち焦がれていた図表担当の下請けデザイナー須藤氏に直ちに転送してページ組みの体裁に整えました。他の分担執筆者からの入稿と全く同様に、原稿執筆者の権威と専門知識を信頼して、私および私の配下の技術スタッフは、その内容には一切手を触れていません。】
「つくる会」側の調査では、鈴木事務局長の指示で事務局員の一人がスキャナーで東書14年版の年表の文字を読み取り、テキストファイルでフロッピー・ディスクに入れ、松本氏の事務所に送ったことが確認されています。そのデータは「つくる会」事務所に保存されており、「教科書ーー年表」と名付けられたフォルダーにワードで作成された文字が「1、2、3、4」というナンバーをつけて4分割されて入っていました。保存日は平成20年2月27日です。松本氏が「3月末」としているのは記憶の間違いと思われます。データをA4の用紙に打ち出すと11ページになります。そのうちの最初の1ページは別紙の通りです。
しかし、言うまでもないことですが、鈴木氏が東書14年版の年表の文字データを事務局員に指示して入力し松本氏に送ったのは、教科書の制作作業に追われていた松本氏に同情した鈴木氏が、松本氏が年表を作成するための下書きに利用できると考え、松本氏の作業の手間を少しでも軽減してあげようという善意の支援策として行った行為であることは疑う余地がありません。ですから、松本氏はその文字データを入力の手間を節約するために利用しつつ、独自の年表として仕上げる作業をした上でデザイナーに渡すべきであったのに、その作業を怠ったということになります。この点で松本氏の責任は免れません。
ついでに言えば、松本氏の回答文書でも言及されているとおり、鈴木氏は各社の歴史教科書を取りそろえて松本氏の事務所に送りましたが、それは松本氏が年表などを作成するための参考資料であり、鈴木氏は各社の教科書の年表の構成などを調査した上で自由社独自の年表を作成するという当初からの基本方針に基づいて行動しているのです。
松本氏は、鈴木氏が「年表の原稿は杉原先生の指示で事務局員に入力させたので、直ちに送るからこれを使ってください」と電話で語ったとし、鈴木氏の行為が杉原氏の「指示」によるものだったとしています。この点について、杉原氏に確たる記憶がありませんが、「つくる会」事務所での鈴木氏との会話で、松本氏の作業を支援するため年表用に使う文字群の電子データを入力して松本氏に送ってあげればよいかもしれない、という類の話をした可能性はあります。確定的なことは言えませんが、それを鈴木氏は「杉原先生の指示」として松本氏に伝えたとも考えられます。しかし、杉原氏のこの件での関わりはそれ以上でも以下でもありません。杉原氏は、出来上がった年表を見て、当然ながらそれは松本氏が独自に作成したものであると信じていました。この点は、他のすべての「つくる会」関係者の共通した認識でした。
それよりも、もし、松本氏が本当に杉原氏が年表の「担当執筆者」の「主任」であると信じていたのなら、送られてきた原稿は杉原氏の原稿であると考えるのが当然であるのに、なぜか松本氏は、「つくる会」の事務局員が作成したものと想像しています。このことからも、松本氏は杉原氏の役割について、虚偽を述べていることはあきらかです。
 
(3)松本氏の弁明の矛盾
松本氏の弁明のポイントは、<鈴木氏から受け取ったフロッピーの文字情報を、松本氏は東京書籍14年版の年表の文字情報を入力しただけのものとは知らず、「つくる会」側が独自につくった年表の完成原稿だと思い込んだ>と要約できます。松本氏の言葉を引けば、「歴史に素養のある事務局員の誰かがそれら[つくる会事務所にある歴史資料を指す-引用者注]から必要事項を拾って新規に編成した原稿であろうと想像していました」、「原稿執筆者の権威と専門知識を信頼して、私および私の配下のスタッフは、その内容には一切手を触れていません」などと書いていることから松本氏の主張がわかります。
鈴木氏と松本氏の間でどのようなやりとりがあり、フロッピー・ディスクのデータについてどのような確認のもとにデータの受け渡しが行われたのか、一方の当事者である鈴木氏が死去している現在、確かめようがありません。しかし、松本氏の弁明が成り立たないことは、松本氏が引用している鈴木氏の発言や前後の事情から十分に論証できます。
第一に、松本氏の回答文書によれば、鈴木氏は「年表の原稿は杉原先生の指示で事務局員に入力させたので、直ちに送るからこれを使ってください」と言ったとのことです。もし、事務局員が年表を作成したのなら、「入力させた」という言い方をするはずがありません。年表の「作成」のほうが「入力」よりも重要な作業ですから、鈴木氏は「事務局員に作成させた」と言うはずです。「入力」という言葉は、すでにある文書を電子情報に転換したという意味になることは当然です。鈴木・松本両氏の間では、文字データが東書のものであり、下書きに利用するためのものであることは当然了解されていたはずです。
第二に、それでも松本氏は、鈴木氏から受け取ったフロッピー・ディスクの情報を「つくる会」側の作成した独自の原稿だと思い込んだ(錯覚した)という弁明は成り立ちそうに見えます。しかし、残念ながらその弁明は根本的に矛盾を含んでいて成立しません。
松本氏の回答文書によれば、図表担当の下請けデザイナー須藤氏は、原稿が到着する前に、予め「年表の枠組みデザイン」を「新規に作成」して、「文字原稿の入稿を待ち焦がれていた」とのことです。ところが、その「新規に作成」したと称する「年表の枠組みデザイン」は、新規でも何でもなく、東書平成14年版の年表と殆ど同じです。出来上がった自由社版の年表の枠組みは、「日本のおもなできごと・朝鮮・中国・世界のおもなできごと・西洋」という欄から成っていますが、この構成は東書14年版と全く同一で、各欄の横の幅のサイズまでもほぼ同じなのです。予め、東書14年版をまねるという意思が無ければ起こり得ないことです。
さらに奇妙なことがあります。年表の原稿は、松本氏の説明によれば、「思いがけず」かかってきた鈴木氏からの電話ののち送られてきたとのことですから、それが東書の教科書の年表であることは事前には知り得なかったはずです。それなのに年表の原稿が東書14年版の年表のデザインに対応するものであるということが、松本氏と須藤氏はどうしてわかったのでしょうか。要するに、「つくる会」から送られた文字データが東書14年版のものだとは知らなかったという松本氏の説明は完全に破綻しています。
第三に、つくる会の事務局で出来ることは、文字データの入力に限られます。実際、別紙をご覧いただければわかるとおり、「つくる会」側が提供したデータは、東書14年版の年表の文字情報だけを列挙した形式のもので、各欄のタイトルさえ入力されていません。この文字情報を年表の形にくみ上げるのがデザイナーの仕事になりますが、その場合、デザインすべき設計図や組み方の実物モデルがなければ、どんなデザイナーも作業を進めることは不可能です。従って、東書14年版年表の現物またはコピーを須藤氏は参照しながら、文字の配置や空間を決めていったものであることは疑いなく、その行為はもちろん松本氏の指示のもとに行われたのですから、東書14年版と同じようにデザインすることを須藤氏に指示した松本氏は、その作業が東書14年版の流用であることを十分に認識していたことになります。松本氏は「もちろん私は鈴木氏から年表の出典はまったく聞いておりません」と強弁していますが、これは虚言というほかはありません。
さらに、自由社の年表には、東書14年版で「●」印であらわされている「このころ」を表す約束事の記号を、「このころ」という文字にした独自のロゴがあります。これも、松本氏が指示しない限り須藤氏が勝手につくるはずもなく、松本氏は東書14年版からの流用であることに気付きにくいように、一種のカモフラージュとして新しいロゴを作成したと考えられます。松本氏は、「私および私の配下の技術スタッフは、その内容には一切手を触れていません」などと書いていますが、それは事実に反します。
 
(4)その他の論点 
以上で問題の要点は尽きていますが、松本氏の主張に見られるその他の論点について、いくつか補足しておきます。
第一に、松本氏は、年表の原稿の作成が自分の仕事ではなかったかのように説明していますが、基本方針の項で述べた通り、本文とページ単位のコラム以外の部分は、編集担当者として自由社から給与を受け取って仕事をしていた松本氏がなすべき業務でした。松本氏は、教科書の作成を自分に任せて欲しいと強く希望し、実際、本文とページ単位のコラム以外の部分はすべて仕上げました。当然ながら、年表も松本氏が担当すべき業務でした。
このような認識が、当時関係者に十分に共有されていたことは、松本氏の回答文書自体が証明しています。松本氏によれば、つくる会の鈴木事務局長がデータを松本氏に渡す際に、鈴木氏の電話は「事務局から松本さんへのプレゼントです」という冗談めいた挨拶から始まったとのことです。もし、松本氏の言う通り「つくる会」側に原稿作成の責任があるのなら、単にやるべき作業を実行しただけのことで、鈴木氏は「プレゼント」という表現をここでするはずがありません。「プレゼント」という表現は、年表作成は松本氏の仕事だが、その一部を肩代わりして作業をして差し上げた、ということを意味します。
第二に、平成21年7月1日に各執筆者の印税配分を決めた際、年表は松本氏の配分に入らなかったことを理由にして、松本氏は「代表執筆者の藤岡氏も年表は私の作成ではないと認識していた」と主張しています。これも、全く当たりません。では、年表のページは誰に印税配分されたかというと、誰にも配分されていません。これは「著作権確定のための原則」という同日配布した文書に、「表紙、目次、扉、地図、索引、などのページについては、自由社の編集部として行った作業であり、著作権の対象から除外する」と明記されていることによるものです。年表も著作権の対象から除外されているので松本氏の作成にかかるものであっても印税が発生しなかったのです。印税が発生していないということは、かえって年表が編集担当者の責任において作成されたことの明白な証拠です。
第三に、9月12日付けの自由社加瀬社長の照会に対する松本氏の9月18日付けの回答文書でも、今回の「つくる会」あての回答文書でも、松本氏は、東書の教科書が自分の事務所にはない、ということを盛んに強調しています。しかし、現実には東書14年版の年表のデザインを引き写して自由社の年表はつくられているのですから、松本氏及び須藤氏が東書14年版の年表を十分に参照したことは上記の説明のとおり疑いの余地はなく、教科書が手許にないという弁明には何の説得力も証拠価値もありません。
第四に、松本氏は、なぜ年表流用が発覚した5月の時点で自分に問い合わせをしなかったのかと問い詰めています。理由は、当時は教科書の採択期間中だったからであり、採択が終わった直後の9月12日に、上記のように自由社側が調査を開始しています。もし採択期間中に松本氏への問い合わせをしたなら、氏が自由社教科書の採択を挫折させるための妨害行動に出ることは明らかでした。現に今回、当方から質問状を出しただけで、しかも、12月10日に杉原会長が調査が完了するまで外部への公表を控えたいとの趣旨で松本氏に電話したことをも無視して、一方的に文書を公表し、「つくる会」を攻撃し、会の「清算」まで勧告するという異常な行動をとっています。この松本氏の行動そのものが、採択期間中にこの問題の究明をあえて避けた当方の対応が正しかったことを示しています。
松本氏は、「つくる会」の教科書運動にこれだけの損害を与えながら、一片の謝罪もなく、松本氏の多忙を見かねて善意で支援の手を差し伸べたことを悪用して「つくる会」側に全面的に責任を転嫁し、「死人に口無し」よろしく故人である鈴木事務局長を「キーマン」に仕立て上げて自己の責任を免れようとしています。松本氏のこのような道義に悖る態度は、かつての仲間として残念でなりません。
なお、年表流用問題についての松本回答文書への反駁は以上で完結しておりますので、当会としては、この先、これ以上議論する必要を認めません。今後、さらにこの件で「つくる会」の信用を毀損する行為がなされた場合は、法的措置も視野に入れて対応いたしますので、松本氏及びこれに加担するネット関係者に予め警告しておきます。 以上
 
*事務局注記 12月8日付け松本謙一氏の回答文書の全文は、「つくる会」のホームページに掲載します。
 
別紙
 
  ●このころであることを示す。
  ■日本と外国との関係をあらわす。
 ●採集や狩りによって生活する
 ●稲作,金属器の使用が始まる
 ●各地に小さな国ができる
57■倭奴国の王が後漢に使いを送る
239■邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送る
  大和国家の統一進む
 ●このころ,倭,高句麗と戦う
478■倭王武が中国の南朝に使いを送る
  ■百済から仏像・経典がおくられる
 ●物部,蘇我氏ら豪族が勢力を争う
593聖徳太子が摂政となる
607■小野妹子を隋に送る
630■第1回遣唐使を送る
645大化の改新
  ●公地・公民の制
  ●改新政治が進展する
701大宝律令
710都を奈良(平城京)に移す
743墾田永年私財法
  ●荘園ができ始める
784都を京都(長岡京)に移す
794都を京都(平安京)に移す
---------------------------------------------------------------
縄文文化
縄文士器
弥生文化
弥生土器
銅鏡
銅剣
銅鐸
銅矛
古墳文化
古墳 鏡・玉・はにわ
大陸文化の伝来
漢字
仏教
儒教
飛鳥文化
法隆寺
百済観音像
天平文化
「古事記」
「風士記」
「日本書紀」
東大寺の大仏完成(52)
正倉院「万葉集」

読売新聞東京本社調査研究本部が発行する季刊『読売クオータリー』秋号に、元「新しい歴史教科書をつくる会」理事の伊藤隆東大名誉教授が5月27日に同本部憲法問題研究会で行った「中学校歴史教科書の現状」と題する講演の要旨が掲載されている。
 
その中から「つくる会」内紛を回顧した部分を紹介する。

読売クオータリー
今度、2012年度から登場する「教科書改善の会」関係者編集の「新しい日本の歴史」は育鵬社から出ます。前の「新しい歴史教科書」は扶桑社から出していました。そして藤岡氏が中心になっていたのですが、私どもは藤岡氏から決別しました。
藤岡氏というのは、ついこの間までは共産党の人でしたから、手法が全く共産党的で、彼にとっては、「新しい歴史教科書」の推進運動は闘争の場なのです。内部闘争の連続でした。本当にこれはかなわないと何遍もやめようかと思ったのですが、目的のためには仕方がなかろうと我慢して、自分の担当する教科書づくりまでは一所懸命やったわけです。
運動も大きくなって、しかも、資金があるようになると、会の主導権争いが非常に激しくなってきます。藤岡氏というのは、何とかして実権を握りたい。藤岡氏と西尾幹二氏がオーナーのつもりなのです。自分たちで勝手にやりたいのに、ほかの理事たちがいろいろ邪魔をするので、人事等を変えたい。が、みんなは、藤岡氏に勝手なことをやられては大変だという気持ちがあって、彼を会長にしなかった。いろいろなトラブルがありました。
結局、2006年に、我々のほうで日本教育再生機構というのを分かれてつくったのです。その中心になった八木秀次(高崎経済大教授)という人がまだ若い人(当時44歳)で、この人が、一時、「新しい歴史教科書をつくる会」の会長になって非常によくなったと思ったら、藤岡氏らが彼を首にした。それで僕も切れました。こういうトラブルばかり続いている会は一体何なのだろうと思いまして、「新しい歴史教科書をつくる会」を出て、八木君を中心に日本教育再生機構というのをつくった。僕は理事としてサポートしているわけです。


またまた藤岡信勝の嘘が明らかになった。
 
藤岡信勝が代表執筆者を務める自由社版中学校歴史教科書が東京書籍の年表を盗用していることが発覚したとき、藤岡や自由社はマスコミの取材に「年表作成の担当者は自由社を退社しており、経緯を確かめようもない」(6月14日付朝日新聞)、「当時の編集長と連絡が取れず、経緯が確認できていない」(8月1日付毎日新聞夕刊)などと、追放した元教科書編集室長、松本謙一さんに罪を着せていた。
 
松本謙一さんだが松本さん(写真)は逃げも隠れもしていなかった。「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝が会長を務めていたサークル)も自由社も松本さんの住所も電話番号も当然知っている。現に半年たった11月29日付で松本さんに、お前はなぜ盗用したのかという照会文を内容証明郵便で送りつけてきた。
 
それに対する松本さんの回答書を入手した。驚愕すべき事実が書かれている。
 
松本さんは年表盗用には一切関与しておらず、実行役は「つくる会」事務局員であり、そのデータを松本さんに渡したのは藤岡側近の鈴木尚之事務局長であり、指揮した責任者は杉原誠四郎・現「つくる会」会長だというのだ。
 
ちなみに、拙ブログでも紹介した松本さんのスタッフが未払い報酬の支払いを求めて自由社を訴えた裁判は松本さんのスタッフ勝訴の判決が言い渡されたそうだ。
 
松本謙一さんの回答書の全文を掲載する(松本さんのスタッフは匿名にした)。
 

平成23年12月8日
新しい歴史教科書をつくる会副会長
福地惇先生 玉案下
 
平成23年11月29日付けで貴殿から御照会の(株)自由社刊『新しい歴史教科書』所載年表の製作事情について私の承知する限りを御回答申し上げますので、貴会理事会ならびにすべての会員に誤解なきよう正確な報告を周知されることを求めます。
 
・結論
当該年表の原稿は担当執筆者であった杉原誠四郎先生(現貴会会長)の指示により当時の貴会本部事務局長、鈴木尚之氏が事務局員(氏名不承知)に作成させ、私ども、当時の「自由社臨時教科書編集室」にフロッピー・ディスクに記録した電子情報で送達したものをそのまま使用したもので、内容の製作経緯に関しましては、当方は一切関与も関知もしていません。
従いまして、貴殿が今回送達の文書で一方的に決め付けている「何故、東京書籍の年表を無断で流用したのか、しかもそれを代表執筆者らに一切知らせずに放置したのか等々に関わる事情の説明」を求める先は私ではなく、杉原先生です。鈴木事務局長は故人となられたのでいまさら確認するすべはありませんが、氏の慎重な人柄からして、杉原先生の指示を外れて東京書籍版からそのままの転記を配下の事務局員に命ずることは考えにくいからです。
 
・経緯
1.平成20年4月文部科学省に検定出願の中学校社会科歴史教科書『新しい歴史教科書』の新規原稿執筆分担は代表執筆者である藤岡信勝氏が独りで決定しました。
2.当該年表の担当執筆者に藤岡氏が指名したのは、主任は杉原先生、補佐は福地先生、すなわち貴殿でした。既存教科書の年表は扶桑社編集部が作成したもので、編集著作権上、流用できなかったからです。この時点で「年表については新規原稿の作成が必要」という認識は、自由社側、「つくる会」側、双方が共有したはずです。しかし「年表」の原稿執筆は一貫して私および私の手配したスタッフの分担に入ったことがありません。
3.然るに、藤岡氏が平成19年12月8日に私を江戸川橋の喫茶店に呼び出して突然要請した、「実質上ほぼ45日で既存の扶桑社版の版権、著作権に抵触しない新規教科書を作れ」という極めて異常、かつ無謀な製作日程の中でさえ、「つくる会」側執筆分担者からの原稿提出は大幅に遅れました。杉原先生と貴殿が担当される約束の「年表」も私が当初お願いした期限での入稿は果たされませんでした。
4.いよいよ「ここで年表の入稿が無ければ、4月中旬の検定出願期限に白表紙本を文部科学省に提出するのは絶望、という平成20年3月末に至って、「つくる会」鈴木事務局長から思いがけず私の事務所(当時、自由社の臨時教科書編集室として提供)に電話があり、「年表の原稿は杉原先生の指示で事務局員に入力させたので、直ちに送るから、これを使ってください」といわれました。
5.もちろん私は鈴木氏から年表の出典はまったく聞いておりません。鈴木氏からの私への連絡は「杉原先生の指示で、事務局員に年表の原稿を入力させたので送るから、それを使うように」という指示だけでした。その鈴木氏からの電話の冒頭は「事務局から松本さんへプレゼントです」という冗談めかした挨拶から始まったのを記憶しています。本郷の「つくる会」事務所には豊富な歴史資料が揃っていましたので、当時の私は、歴史に素養のある事務局員の誰かがそれらから必要事項を拾って新規に編成した原稿であろうと想像していました。当然、執筆担当である杉原先生も要点を指導されたか、目は通されているものと信じておりました。
6.フロッピー・ディスク(だったと記憶しますが)で「つくる会」本部から私ども「臨時教科書編集室」に届いた原稿は、その時点ですでに年表の枠組みデザイン(新規に作成)を用意して文字原稿の入稿を待ち焦がれていた図表担当の下請けデザイナー○氏(女性)に直ちに転送してページ組みの体裁に整えました。他の分担執筆者からの入稿と全く同様に、原稿執筆者の権威と専門知識を信頼して、私および私の配下の技術スタッフは、その内容には一切手を触れていません。
7.印刷用のページ組みに整えたすべての記事は代表執筆者の藤岡氏、杉原先生、貴殿の3人のうち、必ずどなたか2名以上が自ら校正をなさいました。当該年表については当時の「つくる会」本部会議室(在本郷)で杉原先生と貴殿が校正をされ、その段階でいくつかの加筆修正があったと記憶しています。そのときも杉原先生より原稿の出典に関しての説明は伺っていません。
 
・私および私のスタッフが当該年表の盗用に一切無実、無関係である傍証
1.当該教科書の編集製作に当たっては、「つくる会」本部より同業数社の中学用歴史教科書が見本として「自由社臨時教科書編集室」に送られてきました(これも鈴木事務局長が手配)が、その中には東京書籍が盗用されたと主張する当該年次の同社教科書は含まれておりません。こちらの事務所に存在しない書籍を私や私のスタッフが盗用できる道理がありません。
2.「東京書籍版」が全国で最も広い採択実績を持つのは周知のことであり、そのように人目に触れやすいものをわざわざ盗用する合理性は全くありません。東京書籍版の年表が特に特徴的で優れたものという認識が私に全く無い以上、発覚の危険を冒してまで、東京書籍当該版を転記するメリットは皆無です。
3.年表のように多くの数字や文字が相互に関連するものは、印字ミスや段、行のズレを生じやすく、一度ページ組みしてしまうと、あとからの校正はまた新たなミスを誘発する危険が大ですので、原稿を製作した段階での複数の人間による「読み合わせ」などの確認作業が必須ですが、そのためには数時間から半日を要します。私および私のスタッフには他の図書からの転記はもちろん、年表について、自分たちがこうした確認作業を行った記憶が皆無です。事実、2名の下請けデザイナーは、内容執筆は一切行っていません(デザイナーS氏の対自由社作業代請求裁判で裁判所も認定済みでS氏勝訴)、他のスタッフは検定提出直前の4月に入っても使用図版の対所有者許諾出願作業が終わっておらず、私も平安時代、鎌倉時代の本文文化欄、江戸時代の文化コラム等をまだ執筆していた状況で、そのような担当欄執筆の外に他者図書からの煩雑な転記を行う時間は到底ありませんでした。
4.平成21年7月に至って、藤岡氏が杉原先生、貴殿、私を招集して、当該書籍の印税配分を決めた際、図版の解説と側注、見開きごとの内容ダイジェストは自由社の財産とし、あとはすべて担当執筆者を確認して、印税の配分比率を計算し、確定しました。その際、年表は私への配分に入っていません。つまり代表執筆者である藤岡氏も年表は私の作成ではないと認識していたし、同席した杉原先生と貴殿もそれを確認しています。
 
・「何故、代表執筆者らに一切知らせずに放置したのか」という指摘の不当性
○問題浮上以前;
「知らせない」にも「知らせる」にも、当方としては当該年表の原稿製作実務作業には全く関与していないのですから、「知らせるべき内容」を持ち合わせませんでした。「年表執筆ご担当の杉原先生の貴会副会長としてのお立場、東大卒という御学歴、プロジェクトへの莫大な出資比率からして、全く信頼申し上げておりましたので、このような非常識な行為が存在するかもしれないという疑いも持ちませんでした。「問題を放置した」のではなく、私においては「問題など存在しなかった」のです。それが唯一無二の実情です。また当該教科書が検定合格した直後の平成21年4月18日には私は(株)自由社の加瀬社長から突然「教科書編集室長」の任を解かれ、「以後は教科書実務には関与することはまかりならない。藤岡先生に責任の一切をお任せするように」と命ぜられましたので、当該教科書および市販本「日本人の歴史教科書」への私の責任はそこで絶たれております。従って、それらが世に供給された事情は私の関知するところではありません。
○問題表面化以後;
このように私には「当該年表は盗用されたもの」という認知が一切ありませんでしたので当該問題が新聞に報道されたときも直ちには事情が理解できませんでした。また報道記事(読売新聞)中に自由社側の「当時の編集担当者はすでに退職しており連絡がつかない」旨の弁解が出ていましたが、自由社も貴会も私の現住所、電話等は十分認識しておられたはずです。であるからこそ、今回もこうした照会もできるわけで、「連絡がつかない」というからには、私のことでなく、私以後に入社しすでに退社した編集者があったのか、と理解していました。まさか高い社会的信用を持たれ皇族の知遇まで得る加瀬英明氏が代表取締役をお勤めになる(株)自由社が文部科学省や報道機関に虚偽の説明をなさるはずはないからです。(それとも「すでに退職した担当者」とは私を指し、それと「連絡が取れない」という意味で弁明されたのでしょうか?それであれば自由社は積極的に社会を欺いたことになります。私はあの時期、東京でいつもどおりの生活を営んでおりましたが一切所在確認のご連絡はありませんでしたが…)
○私からの疑問;
1.私から事情を聞くことが本当に必要なら、本件トラブルが表面化した当時に、なぜ自由社も貴会も直ちに私に照会してこなかったのか?
2.私に一切照会せずに、あたかも私が事件を起こしたかのような情報を会員の間に流布して既成事実化したうえで今般になって一方的に「何故無断で流用したのか?知らせずに放置したのか?」と私の主導あるいは関与を決め付けた照会がなされたのか?
ここに私としては貴会の行動に非常な不自然さと何がしかの作為の存在を感じるものです。
 
・まとめ
以上説明しましたように「東京書籍版歴史教科書年表盗用問題」のキーマンは当時の貴会事務局長、鈴木尚之氏です。そして監督責任は代表執筆者藤岡信勝氏に指名されて当該年表の執筆担当者となっていた杉原誠四郎氏です。私がいままで、その事実を積極的に公表しなかったのは①鈴木氏は今春逝去されており死者の名誉に疑問を惹起しかねないような発表を敢えてするのは私の好むところではなかったし、杉原氏は先般の「つくる会」総会で会長に就任されたばかりで、ここで杉原新会長についても盗用への指示疑惑や監督責任追及が起これば貴会はまたしても信用を失墜することになる②貴会から一度も照会してこないものを私がわざわざ説明して歩く必要は無い、と考えた故です。
しかし、私があの教科書の検定合格獲得までに克服した数々の困難の実情とその間の私ならびに私のスタッフの誠実な献身を十分ご存知のはずの貴殿までが、今般御照会のようないわれなき疑念を持たれるならば、私の信用を防衛するためには自らの潔白を公開の場で証明する必要がある、というように考えを変えました。それは私のみならず私の持ち込む時間的難題に最大限の協力をしてくれたスタッフや外部協力者の名誉を護るためでもあります。つきましては本返信はご要請どおり貴会へ送達すると同時に監督官庁の主管部門、報道機関にも写しを配布することをお知らせしておきます。これは「事情を極力明らかにしたい所存」とおっしゃる貴殿のお考えにも合致することでしょう。
 
・付記
今回貴殿がご照会の「なぜこのようなことが」をさらに鳥瞰的に捉えるなら、それは貴会にしても(株)自由社にしても、運営が極めて恣意的で教育という神聖な目的よりも一部の個人の名誉欲や利益が主たる行動理由になってしまっている実情、すなわち貴殿もたびたび耳にしてこられたはずの「個人商店化」による「無計画」にすべてが帰一します。
そうした制御不全を糊塗したまま、教育行政や国民、貴会会員や支援者を欺くような会の近況を考えれば、そろそろ会自体を清算する勇気が必要ではないでしょうか?「従軍慰安婦問題」に端を発した「歴史教科書運動」はもう内外、左右ともに賞味期限が過ぎたとみるべきです。貴殿の叡智に期待するところ大です。
 
敬具
                                           松本謙一

藤岡信勝と増田俊男「新しい歴史教科書をつくる会」前会長の藤岡信勝拓殖大学客員教授とかつて親密な関係にあり、実質経営する投資顧問会社「サンラ・ワールド」が主宰する投資クラブの会員に企業の新株予約権購入を持ち掛け無許可で集金したとして、金融商品取引法違反(無登録営業)罪に問われた「時事評論家」の増田俊男被告(73)の初公判が11月29日、東京地裁(北村和裁判官)であった。
 
藤岡信勝と刑事被告人・増田俊男の関係は下記参照(動画あり)。
 ■藤岡信勝のお友達・増田俊男が書類送検された
 
日ごろ大言壮語している刑事被告人・増田俊男は逮捕こそ免れたが、在宅起訴され初公判で女検事に絞られた。
 

MSN産経ニュース12月4日付
「調書に署名全部あるよー」“ドS”女性検事に翻弄されたカリスマ「時事評論家」
 
「米大統領に原爆投下を謝罪させてみせる」と豪語したカリスマが、法廷で説教に耐える姿を、“信者”たちは想像できただろうか。海外企業の未公開株について無登録で出資を募ったとして金融商品取引法違反(無登録営業)罪に問われた、投資顧問会社「サンラ・ワールド」元実質経営者の男性被告(73)の初公判。弁士として名声をはせた被告が、女性検事の一喝に、沈黙した。(時吉達也)
被告は「時事評論家」の肩書で活動し、多数の講演を行う傍ら「またもやジャパン・アズ・ナンバー1の時代がやってくる」「日本がアメリカと世界を救う!」など多数の著書を出版。愛国心を刺激させる発言とともに、「世界的ヘッジファンドの親玉は友人」と金融のスペシャリストであることを強調、投資顧問業で多くの顧客を獲得してきた。
しかし、近年は投資者との間にトラブルが急増。今回の事件では、カナダのIT企業について「第2のマイクロソフトになる」「上場すれば株価は40倍になる」などと宣伝し新株予約権を販売したが、10年以上上場が実現せず、返金をめぐる訴訟が相次ぐ。平成12~19年にかけ投資家約1000人から50億円を集めたともいわれ、新株予約権を11の個人・法人に計約6200万円で無登録販売した部分について書類送検、起訴されていた。
11月29日に東京地裁で開かれた初公判の冒頭で、起訴内容について「異議ありません」と認めた被告。緊張した様子もなく、弁護側の被告人質問に入ると慣れた様子で「解説」を始めた。
弁護人「無登録の営業で、法律違反という認識はなかったんですか」
被告「一定額で株を購入できる、と約束していた。その段階では、まだ有価証券ではないわけですよね。将来株券として受け取るときには有価証券になるわけですから、複雑というかね」
弁護人「要するに『グレー』であると」
被告「グレーっちゃグレー。認識があったのは隠せない事実ですな」
さらに、弁護人から「サンラ・ワールド」がすでに廃業した点を問われると、被告はうれしそうに現在の仕事について語り出した。
「日本とアメリカで活動していまして、日本では執筆業や経済解説、それに勉強会やセミナーを開いています。海外ではワシントンDCに私のシンクタンクがありまして、シンガポールでも活動を広げています」
「『目からウロコ』というラジオ番組もありましてね、2200回くらい続いた長い番組で、トラブルの後でいったん終了したんですが。また最近、どうしてもと頼まれてしまいましてねえ、7月から放送を再開しております。月曜から金曜で、10分間持っています」
「番宣」まで登場する法廷はなかなかお目にかかれない。“愛国的”主張も往時と変わりない様子で、被告はさらに鼻息荒く続ける。
「日銀に頼まれましてね、食糧問題についてカンボジアに日本の技術を伝えるという、大変なプロジェクトもお手伝いしていまして。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を逆手に、日本が農業を世界に輸出していく機会でもあるわけなんですね」
検察側の質問に移っても事件に対する反省の色は見えないままで、会社の代理人弁護士批判を展開していく。
検察官「登録をしようと思えばできたんですよね。登録が大変だったんですか」
被告「○○弁護士(法廷では実名)に相談したんですがね。実績がないのと、海外の有価証券であるというところで、難しいとは聞いていました。あ、実績がないというのはわれわれではなく、○○事務所が。それで積極的にやらなかったようです」
検察官「別の弁護士に相談すればよかったのでは?」
被告「今にして思えば。○○弁護士との強いつながりがあって、言いたくないが指導力の強い人で、『浮気』できない関係だったんですよね」
女性検事は被告を追及するというより、教授に教えを請う学生のように質問を続ける。
検察官「私も今回のことで勉強する機会に恵まれたんですけれども。『純資産が基準に満たない場合は登録を拒否できる』ということで、サンラの場合は5000万円程度必要だったようですが。それがなかったんですか」
被告「当時その程度はありました。登録を取れたとは思うが、法律上の議論があったんですよね」
検察官「『証券のプロ』でいらっしゃるから。問題があるのは分かっているけど楽な方に解釈してしまった、という感じですかね」
被告「ははは。やっておくべきだったと深く反省していますよ。正直なところ、変な言い方だが『逃げるような』というか。おっしゃる通り」
今回の投資で、出資金は被告が役員に名を連ね、新株予約権を保有するハワイの企業に渡った後で、仲介したサンラ・ワールドにも一部が振り込まれていた。この資金の流れについて尋ねていくうち、にわかに検事の質問のトーンが変化していく。
検察官「警察の調べで、サンラに2億円が流れています。サンラの資金繰りが目的だったんですか」
被告「違います。(新株予約権を)株にしたいという希望が投資家から突如ありまして。ところが予定が外れて上場が遅れて-」
検察官「事情はいいけど、何でサンラに流れたの? 資金繰りでいいの? いいんですね」
被告「はい、そうです…」
質問者の突然の“変化”に戸惑った様子の被告。「スイッチ」を切り替えた検事は、矢継ぎ早に質問を重ねていく。
検察官「資金繰りはわかったんですが、なぜ個人的にも金が使われているんですか」
被告「航空券をクレジット決済したり、世界中を歩き回っていますんで」
検察官「なんで会社を財布にしているの。個人と法人をいっしょくたにしてるでしょ。年間81万円のヘルスクラブとか」
被告「ヘルスクラブは行きましたけど、それは健康のためであって。会社の金で払うのは問題ないと思っていました」
検察官「そりゃー、おかしーわ。俺の金だから、俺のヘルスクラブ代って?」
被告「あの、その…」
検察官「300万円以上、私用にも流れているでしょ」
被告「いや…」
検察官「違うの? そうなの? ワンマン社長だからって何やってもいいわけじゃないでしょ! どうなの!」
被告「サンラの社長は私ではなく…」
検察官「登記簿の話を聞いてませんよ。弁が立つからっていろいろいうけど、おかしいでしょ!」
追及の手を緩めない検事。被告はすっかり動転し、十分に返答できない様子だ。
検察官「個人の不動産を会社の金で買っていますよね」
被告「個人名義では買っていません」
検察官「個人的に、と供述しているでしょ?」
被告「もうかった金をじっと置いておく必要はない。当然投資して、それは事実で…」
検察官「はいー、供述調書にあなたの署名、全部あるよー? 『個人で360万円使い、国外では71万5700米ドル』…はっきりと! 違うの?」
被告「いいえ…」
検察官「違わないのね? はーい」
「持ち上げて落とす」という“異色”の被告人質問は終了。裁判官は論告求刑公判を26日に行うことを告げ、閉廷した。
数々の講演で聴衆を熱狂させてきた被告は、巧みな話術を封じられ「ムチで連打される」展開を予想できただろうか。


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