藤岡信勝研究
「新しい歴史教科書をつくる会」前会長、元拓殖大学非常勤講師の藤岡信勝先生の業績や関連団体について多角的に研究
201709<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201711
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
またまた藤岡信勝の嘘が明らかになった。
 
藤岡信勝が代表執筆者を務める自由社版中学校歴史教科書が東京書籍の年表を盗用していることが発覚したとき、藤岡や自由社はマスコミの取材に「年表作成の担当者は自由社を退社しており、経緯を確かめようもない」(6月14日付朝日新聞)、「当時の編集長と連絡が取れず、経緯が確認できていない」(8月1日付毎日新聞夕刊)などと、追放した元教科書編集室長、松本謙一さんに罪を着せていた。
 
松本謙一さんだが松本さん(写真)は逃げも隠れもしていなかった。「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝が会長を務めていたサークル)も自由社も松本さんの住所も電話番号も当然知っている。現に半年たった11月29日付で松本さんに、お前はなぜ盗用したのかという照会文を内容証明郵便で送りつけてきた。
 
それに対する松本さんの回答書を入手した。驚愕すべき事実が書かれている。
 
松本さんは年表盗用には一切関与しておらず、実行役は「つくる会」事務局員であり、そのデータを松本さんに渡したのは藤岡側近の鈴木尚之事務局長であり、指揮した責任者は杉原誠四郎・現「つくる会」会長だというのだ。
 
ちなみに、拙ブログでも紹介した松本さんのスタッフが未払い報酬の支払いを求めて自由社を訴えた裁判は松本さんのスタッフ勝訴の判決が言い渡されたそうだ。
 
松本謙一さんの回答書の全文を掲載する(松本さんのスタッフは匿名にした)。
 

平成23年12月8日
新しい歴史教科書をつくる会副会長
福地惇先生 玉案下
 
平成23年11月29日付けで貴殿から御照会の(株)自由社刊『新しい歴史教科書』所載年表の製作事情について私の承知する限りを御回答申し上げますので、貴会理事会ならびにすべての会員に誤解なきよう正確な報告を周知されることを求めます。
 
・結論
当該年表の原稿は担当執筆者であった杉原誠四郎先生(現貴会会長)の指示により当時の貴会本部事務局長、鈴木尚之氏が事務局員(氏名不承知)に作成させ、私ども、当時の「自由社臨時教科書編集室」にフロッピー・ディスクに記録した電子情報で送達したものをそのまま使用したもので、内容の製作経緯に関しましては、当方は一切関与も関知もしていません。
従いまして、貴殿が今回送達の文書で一方的に決め付けている「何故、東京書籍の年表を無断で流用したのか、しかもそれを代表執筆者らに一切知らせずに放置したのか等々に関わる事情の説明」を求める先は私ではなく、杉原先生です。鈴木事務局長は故人となられたのでいまさら確認するすべはありませんが、氏の慎重な人柄からして、杉原先生の指示を外れて東京書籍版からそのままの転記を配下の事務局員に命ずることは考えにくいからです。
 
・経緯
1.平成20年4月文部科学省に検定出願の中学校社会科歴史教科書『新しい歴史教科書』の新規原稿執筆分担は代表執筆者である藤岡信勝氏が独りで決定しました。
2.当該年表の担当執筆者に藤岡氏が指名したのは、主任は杉原先生、補佐は福地先生、すなわち貴殿でした。既存教科書の年表は扶桑社編集部が作成したもので、編集著作権上、流用できなかったからです。この時点で「年表については新規原稿の作成が必要」という認識は、自由社側、「つくる会」側、双方が共有したはずです。しかし「年表」の原稿執筆は一貫して私および私の手配したスタッフの分担に入ったことがありません。
3.然るに、藤岡氏が平成19年12月8日に私を江戸川橋の喫茶店に呼び出して突然要請した、「実質上ほぼ45日で既存の扶桑社版の版権、著作権に抵触しない新規教科書を作れ」という極めて異常、かつ無謀な製作日程の中でさえ、「つくる会」側執筆分担者からの原稿提出は大幅に遅れました。杉原先生と貴殿が担当される約束の「年表」も私が当初お願いした期限での入稿は果たされませんでした。
4.いよいよ「ここで年表の入稿が無ければ、4月中旬の検定出願期限に白表紙本を文部科学省に提出するのは絶望、という平成20年3月末に至って、「つくる会」鈴木事務局長から思いがけず私の事務所(当時、自由社の臨時教科書編集室として提供)に電話があり、「年表の原稿は杉原先生の指示で事務局員に入力させたので、直ちに送るから、これを使ってください」といわれました。
5.もちろん私は鈴木氏から年表の出典はまったく聞いておりません。鈴木氏からの私への連絡は「杉原先生の指示で、事務局員に年表の原稿を入力させたので送るから、それを使うように」という指示だけでした。その鈴木氏からの電話の冒頭は「事務局から松本さんへプレゼントです」という冗談めかした挨拶から始まったのを記憶しています。本郷の「つくる会」事務所には豊富な歴史資料が揃っていましたので、当時の私は、歴史に素養のある事務局員の誰かがそれらから必要事項を拾って新規に編成した原稿であろうと想像していました。当然、執筆担当である杉原先生も要点を指導されたか、目は通されているものと信じておりました。
6.フロッピー・ディスク(だったと記憶しますが)で「つくる会」本部から私ども「臨時教科書編集室」に届いた原稿は、その時点ですでに年表の枠組みデザイン(新規に作成)を用意して文字原稿の入稿を待ち焦がれていた図表担当の下請けデザイナー○氏(女性)に直ちに転送してページ組みの体裁に整えました。他の分担執筆者からの入稿と全く同様に、原稿執筆者の権威と専門知識を信頼して、私および私の配下の技術スタッフは、その内容には一切手を触れていません。
7.印刷用のページ組みに整えたすべての記事は代表執筆者の藤岡氏、杉原先生、貴殿の3人のうち、必ずどなたか2名以上が自ら校正をなさいました。当該年表については当時の「つくる会」本部会議室(在本郷)で杉原先生と貴殿が校正をされ、その段階でいくつかの加筆修正があったと記憶しています。そのときも杉原先生より原稿の出典に関しての説明は伺っていません。
 
・私および私のスタッフが当該年表の盗用に一切無実、無関係である傍証
1.当該教科書の編集製作に当たっては、「つくる会」本部より同業数社の中学用歴史教科書が見本として「自由社臨時教科書編集室」に送られてきました(これも鈴木事務局長が手配)が、その中には東京書籍が盗用されたと主張する当該年次の同社教科書は含まれておりません。こちらの事務所に存在しない書籍を私や私のスタッフが盗用できる道理がありません。
2.「東京書籍版」が全国で最も広い採択実績を持つのは周知のことであり、そのように人目に触れやすいものをわざわざ盗用する合理性は全くありません。東京書籍版の年表が特に特徴的で優れたものという認識が私に全く無い以上、発覚の危険を冒してまで、東京書籍当該版を転記するメリットは皆無です。
3.年表のように多くの数字や文字が相互に関連するものは、印字ミスや段、行のズレを生じやすく、一度ページ組みしてしまうと、あとからの校正はまた新たなミスを誘発する危険が大ですので、原稿を製作した段階での複数の人間による「読み合わせ」などの確認作業が必須ですが、そのためには数時間から半日を要します。私および私のスタッフには他の図書からの転記はもちろん、年表について、自分たちがこうした確認作業を行った記憶が皆無です。事実、2名の下請けデザイナーは、内容執筆は一切行っていません(デザイナーS氏の対自由社作業代請求裁判で裁判所も認定済みでS氏勝訴)、他のスタッフは検定提出直前の4月に入っても使用図版の対所有者許諾出願作業が終わっておらず、私も平安時代、鎌倉時代の本文文化欄、江戸時代の文化コラム等をまだ執筆していた状況で、そのような担当欄執筆の外に他者図書からの煩雑な転記を行う時間は到底ありませんでした。
4.平成21年7月に至って、藤岡氏が杉原先生、貴殿、私を招集して、当該書籍の印税配分を決めた際、図版の解説と側注、見開きごとの内容ダイジェストは自由社の財産とし、あとはすべて担当執筆者を確認して、印税の配分比率を計算し、確定しました。その際、年表は私への配分に入っていません。つまり代表執筆者である藤岡氏も年表は私の作成ではないと認識していたし、同席した杉原先生と貴殿もそれを確認しています。
 
・「何故、代表執筆者らに一切知らせずに放置したのか」という指摘の不当性
○問題浮上以前;
「知らせない」にも「知らせる」にも、当方としては当該年表の原稿製作実務作業には全く関与していないのですから、「知らせるべき内容」を持ち合わせませんでした。「年表執筆ご担当の杉原先生の貴会副会長としてのお立場、東大卒という御学歴、プロジェクトへの莫大な出資比率からして、全く信頼申し上げておりましたので、このような非常識な行為が存在するかもしれないという疑いも持ちませんでした。「問題を放置した」のではなく、私においては「問題など存在しなかった」のです。それが唯一無二の実情です。また当該教科書が検定合格した直後の平成21年4月18日には私は(株)自由社の加瀬社長から突然「教科書編集室長」の任を解かれ、「以後は教科書実務には関与することはまかりならない。藤岡先生に責任の一切をお任せするように」と命ぜられましたので、当該教科書および市販本「日本人の歴史教科書」への私の責任はそこで絶たれております。従って、それらが世に供給された事情は私の関知するところではありません。
○問題表面化以後;
このように私には「当該年表は盗用されたもの」という認知が一切ありませんでしたので当該問題が新聞に報道されたときも直ちには事情が理解できませんでした。また報道記事(読売新聞)中に自由社側の「当時の編集担当者はすでに退職しており連絡がつかない」旨の弁解が出ていましたが、自由社も貴会も私の現住所、電話等は十分認識しておられたはずです。であるからこそ、今回もこうした照会もできるわけで、「連絡がつかない」というからには、私のことでなく、私以後に入社しすでに退社した編集者があったのか、と理解していました。まさか高い社会的信用を持たれ皇族の知遇まで得る加瀬英明氏が代表取締役をお勤めになる(株)自由社が文部科学省や報道機関に虚偽の説明をなさるはずはないからです。(それとも「すでに退職した担当者」とは私を指し、それと「連絡が取れない」という意味で弁明されたのでしょうか?それであれば自由社は積極的に社会を欺いたことになります。私はあの時期、東京でいつもどおりの生活を営んでおりましたが一切所在確認のご連絡はありませんでしたが…)
○私からの疑問;
1.私から事情を聞くことが本当に必要なら、本件トラブルが表面化した当時に、なぜ自由社も貴会も直ちに私に照会してこなかったのか?
2.私に一切照会せずに、あたかも私が事件を起こしたかのような情報を会員の間に流布して既成事実化したうえで今般になって一方的に「何故無断で流用したのか?知らせずに放置したのか?」と私の主導あるいは関与を決め付けた照会がなされたのか?
ここに私としては貴会の行動に非常な不自然さと何がしかの作為の存在を感じるものです。
 
・まとめ
以上説明しましたように「東京書籍版歴史教科書年表盗用問題」のキーマンは当時の貴会事務局長、鈴木尚之氏です。そして監督責任は代表執筆者藤岡信勝氏に指名されて当該年表の執筆担当者となっていた杉原誠四郎氏です。私がいままで、その事実を積極的に公表しなかったのは①鈴木氏は今春逝去されており死者の名誉に疑問を惹起しかねないような発表を敢えてするのは私の好むところではなかったし、杉原氏は先般の「つくる会」総会で会長に就任されたばかりで、ここで杉原新会長についても盗用への指示疑惑や監督責任追及が起これば貴会はまたしても信用を失墜することになる②貴会から一度も照会してこないものを私がわざわざ説明して歩く必要は無い、と考えた故です。
しかし、私があの教科書の検定合格獲得までに克服した数々の困難の実情とその間の私ならびに私のスタッフの誠実な献身を十分ご存知のはずの貴殿までが、今般御照会のようないわれなき疑念を持たれるならば、私の信用を防衛するためには自らの潔白を公開の場で証明する必要がある、というように考えを変えました。それは私のみならず私の持ち込む時間的難題に最大限の協力をしてくれたスタッフや外部協力者の名誉を護るためでもあります。つきましては本返信はご要請どおり貴会へ送達すると同時に監督官庁の主管部門、報道機関にも写しを配布することをお知らせしておきます。これは「事情を極力明らかにしたい所存」とおっしゃる貴殿のお考えにも合致することでしょう。
 
・付記
今回貴殿がご照会の「なぜこのようなことが」をさらに鳥瞰的に捉えるなら、それは貴会にしても(株)自由社にしても、運営が極めて恣意的で教育という神聖な目的よりも一部の個人の名誉欲や利益が主たる行動理由になってしまっている実情、すなわち貴殿もたびたび耳にしてこられたはずの「個人商店化」による「無計画」にすべてが帰一します。
そうした制御不全を糊塗したまま、教育行政や国民、貴会会員や支援者を欺くような会の近況を考えれば、そろそろ会自体を清算する勇気が必要ではないでしょうか?「従軍慰安婦問題」に端を発した「歴史教科書運動」はもう内外、左右ともに賞味期限が過ぎたとみるべきです。貴殿の叡智に期待するところ大です。
 
敬具
                                           松本謙一

コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。