藤岡信勝研究
「新しい歴史教科書をつくる会」前会長、元拓殖大学非常勤講師の藤岡信勝先生の業績や関連団体について多角的に研究
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先日紹介した通り、「新しい歴史教科書をつくる会」というサークルの理事、藤岡信勝を支持する同会会員が日本教育再生機構理事長、八木秀次氏らを誹謗中傷する品性下劣なブログを相次いで開設している。
 
その中の一つ「ご隠居様の独り言」は「新しい歴史教科書をつくる会」茨城県支部の川又和敏という老人が書いている。今頃になって6年も7年も前のことを事実を捻じ曲げて書いている名誉毀損ブログである。
 
そのブログの10月1日付によると、藤岡信勝の事後検閲を受けている“藤岡系ブログ”であることが分かる。
 
川又和敏は藤岡信勝との関係がバレてはまずいと思ったのか、翌10月2日付で下記の軌道修正を行っている。

藤岡信勝先生から「当事者としてはっきりさせておいたほうがよい点がありますので、一言します」としてつくる会MLでメールをいただきました。(従ってどなたも読むことができます)


 
つくる会MLが「どなたも読むことができます」というのは嘘である。誰でも読めるならどこで読めるのか教えてほしい。川又和敏よ。
 
とにかくインチキなブログである。例えば11月2日付では藤岡信勝の日本共産党員歴についてこう書いている。

因みに、この時期共産党に在籍し、その後保守陣営で活躍している著名人は文芸評論家谷沢栄一、読売新聞社会長主筆渡辺恒雄など決して珍しくはありません。


 
はあ? 
 
谷沢栄一とは谷沢永一のことだと思うが、彼が日共党員だったのは大学生だった昭和20年代の数年間である。
 
渡辺恒雄が日共に入党申請したのは昭和20年12月で、しばらく入党は認められず、22年12月にはもう除名になっている(伊藤隆ほか『渡邉恒雄回顧録』より)。
 
藤岡信勝の日共入党は昭和38年であり、川又和敏によると離党は平成3年だそうだ。谷沢永一や渡辺恒雄とは全く時代が違う。どうして「この時期」なのか。昭和30年代から平成に入るまで日共に在籍し、その後保守陣営で活躍している著名人が「決して珍しくはありません」? では、ほかに誰がいるのか教えてほしい。川又和敏よ。
 
谷沢永一も渡辺恒雄も日共党員だったのは学生時代のわずかな期間だが、藤岡信勝は少なくとも47歳までの28年間日共党員だったのである。その間、教育学部の教員として数多くの日教組、全教の組合員となる学生を送り出してきた。
 
「若いころ左翼にかぶれるのは、はしかのようなものだ」と言う人がいるが、28年患ったら、もう「はしか」ではない。
 
さて、拙ブログはかつて下記記事で川又和敏に公開質問したことがある。
 ■「藤岡信勝先生の名誉を守る会」のデタラメ
 
川又和敏は

共産党員であった過去を自らの著書で繰り返し公言し、深く反省していた藤岡氏


と書いているが、藤岡信勝が「共産党員であった過去を自らの著書で繰り返し公言し、深く反省していた」などという事実は全くない。そんな著書はどこにも存在しない(論文も講演も存在しない)。あるというなら答えてみよ、川又和敏よ。「繰り返し」ということは、いくつもあるのだな。
 
藤岡信勝は「社会主義幻想に深くとらえられていった」とか「一国平和主義を信じていたが湾岸戦争を機に脱した」と書いてきたが、日共党員だったという文章を公表したことは一度もなかった。「社会主義幻想」「一国平和主義」を「深く反省」した文章を公表したこともなかった。みんなそうだったと、時代のせいにしていた。日共党員だったと公表したのは、「平成13年離党」という公安当局のデータが一部で出回り、それを西尾幹二がブログで公表したことを受けてあわてて釈明した平成18年4月10日からだ。それまでは隠していたのである。
 
いい加減デタラメを書くことをやめろ。川又和敏よ。
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